作務衣及び甚平制作

作務衣(さむえ)や甚平(じんべい)の作り方や型紙、パターン、縫い方について書いていこうと思ってます。

露天風呂の日

6月26日は、露天風呂の日(ろてんぶろのひ)だそうです。
この日が「露天風呂の日」となったきっかけは、岡山県真庭郡湯原町(現岡山県真庭市)の湯原温泉(ゆばらおんせん)の地域の若者たちのアイディアにより、「町づくり事業」として1987年(昭和62年)に始められたそうです。

なぜ6月26日?というと、「6・26」と書いたときに、「6→ろ」、「・→てん」、「2→ふ」、「6→ろ」と読ませるのだそうです。自然で良い語呂合わせですね。

商売の面から見ると、この時期にイベントを実施できるのは良いことだと思います。
というのは、6月は温泉業界にとっては少し需要が落ち着く時期なのではないかと思うのです。5月はゴールデンウィークの大型連休がありますし、7月は学校が夏休みに入ったり、地域によっては盆休みになりますので、観光需要が見込める月ですが、6月は祝日があるわけでもない上に、梅雨の時期で雨がちになり、景色を楽しみたい人や散策を楽しみたい人にとってはお出かけ意欲が下がりがちな月になります。おまけに6月は暦の上では夏で、当然蒸し暑い日もあるので、温泉又は風呂に浸かって体の芯から温まりたい!という気持ちになる人は、どうしても少なくなりがちです。
この時期にイベントを打つことにより、温泉地へ出かける人を増やすことができれば、たとえ無料開放で日帰り入浴料金収入が見込めないとしても、そもそも湯原温泉は人口が多い岡山市から日帰りで気軽に行ける距離にはないと思うので、宿泊需要が見込めますし、土産物店などは多少潤いますので、閑散期対策として有効だと思いました。

発足当時は湯原温泉の感謝デーとして始まりましたが、現在では他の地方にも広まっています。検索して目に付いたのが、奥飛騨温泉(おくひだおんせん、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷)と、黒川温泉(くろかわおんせん、熊本県阿蘇郡南小国町黒川)でした。両温泉とも、大都市からのアクセスはあまり良いほうではなく、秘境寄りだと思います。

なお、黒川温泉の宿泊施設や入浴施設は、2016年4月に発生した熊本地震の被害を受けた施設も中にはあったようですが、9割以上の施設が変わらず営業しているようです。施設の被害より、地震を憂慮するアジア方面からの観光客の減少、熊本周辺の方々の旅行意欲の減少や、余震を気にする他地域からの観光客減少の影響が大きいようです。なお、温泉へ行って熊本を応援なさる方々には、熊本空港や熊本市方面から車で行く場合、2016年6月現在も通行止めになっている道などがあるかもしれませんので、事前に確認をおすすめします。

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ボウリングの日について

今日、6月22日は、「ボウリングの日」だそうです。
なぜこの日なのかと言うと、1861年(文久元年)6月22日に、長崎の外国人居留地である出島に、日本で最初と推定されるボウリング場がニューオープンしたという記録が残っているためだそうです。

公益社団法人日本ボウリング場協会(当時は社団法人日本ボウリング場協会)が、上記の記録を根拠として、1972年(昭和47年)に、6月22日を「ボウリングの日」として定めたそうです。

記録って何だ?と思って調べてみると、日本発の英字新聞「The Nagasaki Shipping List AND Advertiser(ナガサキ シッピング リスト アンド アドバタイザー)」に、インターナショナルボウリングサロンのニューオープンの広告が載っていたそうです。ボウリングに似たゲームは紀元前5000年頃のエジプトで既に行われており、中世時代はヨーロッパの宗教家の間で人気のスポーツだったそうで、長い歴史があるようです。明治維新(1868年)前の江戸末期にわざわざボウリングサロンが作られたことも納得できます。

日本では、1945年の終戦後、1970年ころに女子プロボウラーたちが出現してボウリングブームが始まり、1973年の第一次石油ショックの影響による景気後退の影響により衰退していったようです。今でもスポーツ競技として続けている人はいるようですし、プロボウラーもいるそうですが、ブームの頃のような熱狂はさすがにありません。

現代のボウリングは、ボウリング場がないと成り立たないのですが、ブームが続いていた1972年頃には全国で3697店あったボウリング場が、2015年には約850店にまで減少しています。これは、ブームが下火になっていったことに加え、古い建物は耐震性が現代の基準に達しないことが多い一方で、売り上げ低迷により、補強工事を行う体力がボウリング場に残っていないケースが多かったことなどが要因として考えられます。

ボウリング場というのはどうしても場所をとりますし、実はレーンは単なる木の床でなく繊細なものなので、メンテナンスが大変で、コストがかかるため経営が大変なのではないかと想像してしまいます。
でも、ボウリングって、健全な遊び場なので、街に1つは残ってほしいと思います。スポーツだし、子供でも初心者でも参加できるし。今どきは、子供向けに横の溝がないガーターなしレーンがあるボウリング場があるそうなので、どこかでお目にかかりたいと思っています。

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丹沢の権現山、弘法山、吾妻山に行ってきた

神奈川県秦野市の権現山、弘法山、吾妻山へ登りました。

一見壮大な山脈縦走に見えなくもないのですが、権現山は標高243.5m、弘法山は標高235m、吾妻山は地図で標高の確認ができないくらいマイナーな山(山頂とおぼしき場所の標高は153m)なので、トレッキングシューズの足慣らしにはちょうど良い(あるいは、ちょっと物足りない程度)と考えています。

新宿から小田原を結ぶ小田急電鉄小田原線に乗って、61.7km先(新宿基点)の秦野駅で下車します。
秦野駅の北口から、水無川の橋を渡り、ファミリーマートのある交差点を南東方向へ進みます。
(最短経路は渡ってから次の次の通りを進むルートらしいが、そのルートはわかりにくいので次の機会にトライすることとし、水無川左岸を進むルートをとる。)

しばらく行って、イトーヨーカドー対岸を通り過ぎ、県道71号線に突き当たります。その「万葉の湯」の近くの新常盤橋交差点を渡り、左に進みます。渡るのは先の交差点でも大丈夫です。
「河原町」交差点を過ぎ、「ノジマ」前を通り過ぎそうなところへ、登山口があります。

以上、駅から登山口まで距離は1.4キロです。平坦に近い道のりなので、登山を趣味とするような丈夫な方なら、20分くらいあればたどり着くものと思われます。

登山口から最初に登るのは、権現山(標高243.5m)です。きつい角度の道がつづら折りになっており、登山の雰囲気が出るのですが、標高が標高なのでそんなに長く続きません。

権現山に登頂したら、次は弘法山(標高235m)です。途中で一般道に出る場所があるのでちょっとだけわかりにくいと思いました。注意が必要だと思います。

次のポイントは善波峠です。ここから分岐して北に行けば、高取山(標高556.3m)、浅間山(標高679.6m)を経由して大山(標高1252m)へ行くことができるそうですが、距離が長くアップダウンがありそうなので、それなりの脚力と根性が必要とされます。またの機会にチャレンジしたいと思います。

最後は吾妻山です。休憩スペースはあるものの、地味な山です。

吾妻山を下山し、登山口を出て東名高速下のトンネルをくぐり、鶴巻温泉駅へ向かいます。登山口から鶴巻温泉駅までの距離は600mちょっとです。下り坂なので、逆ルートの場合は時間がかかるかもしれません。

この登山コースは、たぶん地元の方の中には登山コースと認識していない方もいらっしゃるようで、善波峠の近辺では、帰宅途中の高校生とおぼしき若い男性や、手にかばんを持ったサラリーマン風の人が通っていました。

ここで足慣らししたら、次は高尾山クラスの山にチャレンジして、それから大山でしょうか。

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