作務衣及び甚平制作

作務衣(さむえ)や甚平(じんべい)の作り方や型紙、パターン、縫い方について書いていこうと思ってます。

駅弁記念日について

7月16日は、駅弁記念日だそうです。

1885年(明治18年)7月16日、宇都宮駅(栃木県宇都宮市)周辺で旅館を経営していた白木屋が、この日開業した日本鉄道宇都宮駅で、竹の皮に包んだ握り飯2個とたくあんを、1つ5銭で売り出したことから、一般社団法人日本鉄道構内営業中央会という団体が駅弁記念日として定めたそうです。

今の貨幣価値に直すとどの位なのかな?と思って調べてみると、明治18年の米の価格が10kgで44銭、2016年の今は3,500円位?と考えると、397.7円です。コンビニエンスストアのおにぎりの価格と比較すると少し高い気もしますが、駅弁というのは現代でもコンビニエンスストアの弁当より高めなので、こんなものかもしれません。

現在、宇都宮駅前には「駅弁発祥の地 宇都宮」という大きな看板が出されているといいます。地元の駅弁業者「松廼家」が立てているものだそうです。宇都宮駅構内にも、「駅弁発祥の地 宇都宮」のフレーズのサインが見られるようです。

この駅弁(のようなもの)を販売するに至ったきっかけは、白木屋旅館に宿泊した日本鉄道重役からの薦めがあったからだそうです。
鉄道会社の幹部のお墨付きがあったおかげで、駅弁発祥の地を名乗ることができたのかもしれません。

というのも、宇都宮駅より早い時期に駅弁を売り出したという説があるのです。
1877年(明治10年)、国有鉄道(官設鉄道)の梅田駅(現JR大阪駅、大阪府大阪市北区)で売っていたという記録と、1877年(明治10年)7月、同じく官設鉄道の神戸駅(現神戸駅、兵庫県神戸市中央区)で売っていたという記録がそれぞれあるそうです。
何でも、当時の関西地方の官営鉄道は、1874年(明治7年)に開業した神戸駅-大阪駅間と、1877年(明治10年)2月6日に開業した大阪駅-京都駅(現JR京都駅、京都府京都市下京区)の区間だけだったのですが、熊本や鹿児島を中心とした地域が戦場となった西南戦争に出征する兵隊さんたちは、京都駅や大阪駅から神戸駅まで列車に乗って向かい、神戸港から九州まで船で向かったそうで、彼らに提供するために弁当を販売したようです。

他にも、1883年(明治16年)7月28日に日本鉄道の上野駅(現JR上野駅、東京都台東区)で発売したという説や、1883年(明治16年)7月に熊谷駅(現JR熊谷駅、埼玉県熊谷市)で寿司とパンを売り出したのが始まりという説、1884年(明治17年)に敦賀駅(現JR敦賀駅、福井県敦賀市)で売られたという説があるそうです。

駅弁記念日の他に、駅弁の日が定められており、4月10日だそうです。
この日になった由来は、「弁」の日を分解したら4と十(10、とう)になるから、との事。「十」はなんとなく分かる気がしますが、4はよく考え付いたな、と感心しました。

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大菩薩嶺への行き方

山梨県の大菩薩嶺(だいぼさつれい)に登りたいと考え、交通手段などについて調べることにしました。

公共交通機関を使って、大菩薩嶺の頂上と、南側の大菩薩峠に行くためには、調べた限りでは主に次のルートがあるようです。

1.JR中央本線塩山駅(えんざんえき)から山梨貸切自動車バスに乗り、「大菩薩峠登山口」バス停まで行き、頂上を目指すルート

2.JR青梅線奥多摩駅(おうめせん おくたまえき)から西東京バスで「小菅(橋立下)」バス停まで行き、山梨県北都留郡小菅村(やまなしけん きたつるぐん こすげむら)から小菅村大菩薩道を通って登るルート

3.JR中央本線大月駅(おおつきえき)から富士急山梨バスで「ハマイバ前」バス停で降りて、湯ノ沢峠や黒岳、牛奥雁ヶ腹摺山(おしおくのがんがはらすりやま)、小金沢山(こがねざわやま)などを通って南側からアクセスするルート

4.JR青梅線奥多摩駅から西東京バスで「丹波」バス停まで行き、丹波大菩薩道を通って北東方面から登るルート

5.JR中央本線甲斐大和(かいやまと)駅から栄和交通バスで上日川峠(大菩薩)(かみひかわとうげ)バス停または小屋平(石丸峠)バス停まで行き、頂上を目指すルート

このうち、2.の小菅村から登るルートは、ルートの良し悪しはともかく、「小菅(橋立下)」行きのバスが1日4本しかなく、時間を合わせるのが大変そうであることがわかりました。

南側から登る3.のルートは、大菩薩嶺の頂上にたどり着くまでコースタイムで9時間ほどあり、現実的でないようです。大月駅自体は東京からの電車が多数あり、特急も停車するのでアクセスがよいだけに、残念です。

丹波山村(たばやまむら)から登る4.のルートも、バスが1日4本しかない上に、頂上までのコースタイムを計算すると6時間30分くらいとなり、相当きつそうで上級者向けな感じです。

5.のルートは、一番楽そうですが、バスが土日祝日しか運行していないようです。今から行くとなると、夏休みのピークシーズンと重なるため、混雑が心配です。

よって、実現可能性が高い1.の塩山駅からバスで登山口へ向かうルートにしようと思いました。

しかし、もう1つ実現性の高いルートがあったのです。
それは、JR中央本線塩山駅から山梨貸切自動車バスに乗り、「大菩薩峠登山口」バス停より奥の「柳沢峠」バス停まで行き、登山道に入って六本木峠分岐で南に折れ曲がり、丸川峠経由で頂上を目指す方法です。柳沢峠にはドライブインがありトイレを貸してもらえるかもしれないため、俄然魅力的に思えてきました。

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大菩薩嶺に登ってみたい

甲州の大菩薩嶺(だいぼさつれい)に今度登ってみたいと思っています。

この山は、山梨県甲州市と、山梨県北都留郡丹波山村にまたがっています。
標高は、2056.9メートルです。
日本百名山の一つだそうです。

以前、JR中央本線の塩山駅(えんざんえき)で下車したとき、東のほうに高そうな山を望むことができました。
普通のそこらの山と異なり、頂上近くに木が生えておらず、岩肌が出ているかのように見えました。
何という山で、どのような事情であのように荒れている(?)のか?と気になって調べてみたところ、標高が意外と高く、岩が露出していたり、木が生えていない場所があるとわかりました。ただし、大菩薩嶺の頂上自体は木が生えており、展望がきかないようです。

火山ではないか?近くに温泉はないか?と調べたところ、大菩薩嶺が属する奥秩父山塊(おくちちぶさんかい)は、海底だった場所が長い期間をかけて押し上げられてできた山々で、火山は少ないようです。大菩薩嶺も、火山ではないそうです。

秩父というのは埼玉県の地名で、ここ山梨からはだいぶ遠いような気がするのですが、この山塊を奥秩父山塊と名づけた人々が、埼玉側から入って探検していったことが理由のようです。山梨は埼玉と一応接している部分があり、県境には雲取山(東京都と3都県にまたがる)、飛龍山(大洞山)、笠取山、雁坂峠及び雁坂トンネル、甲武信ヶ岳などがあります。県境は基本的に奥秩父山塊になるようです。奥秩父山塊という名称自体、範囲について厳密な定義があるわけではなさそうです。大菩薩嶺を奥秩父山塊と分けて大菩薩連嶺の一部と位置づける解釈もあるようです。

大菩薩嶺の近くに温泉はないか?と調べたところ、大菩薩峠登山口のところに、裂石温泉(さけいしおんせん)がありました。この温泉地には、日帰り温泉施設「甲州市交流保養センター 大菩薩の湯」があるようです。下山後に汗を流せるのは非常にありがたいことですし、筋肉痛の脚の回復にもよさそうなので、帰りに立ち寄りたいと思いました。

標高2056.9メートルと高い山なので、夏のうちに登っておかないといけない山なのかな?と思って、登山時期を調べたところ、大菩薩観光協会のサイトに、「年間を通して…」とか「四季を通じて(眺望が)見事」とあるので、積雪がない限りは初冬でも大丈夫なのかもしれません。

調べていくうちに、標高の割に登りやすいのでは?ひょっとして日帰りでいけるのでは?と希望がわいてきました。というのも、同じような標高の雲取山(標高2017.1メートル)は、一泊するのが標準的なため、2,000メートルオーバーの登山は半ばあきらめかけていたのです。さらに検討をすすめようと思います。

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